ひな百合手記

関係性と悲鳴と考察

自分改革と王冠の話

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はじめに 

  青嵐新作舞台、みなさんはもうご覧になりましたか? 私は見ました。すごいよかったよね……掘り下げが唯一少なかった柳小春を軸に繰り広げられる青嵐の成長劇。八雲先生が『めちゃくちゃ良い先生』として暗躍してる場面(でも生徒の前では悪そうに見せる)、主任との過去。絶対王者としての格の高さを魅せた雪代晶。穏やかな島民だからこそもたらせる知見、そして、花柳香子信仰限界オタク集団の組長……

 でも今日はそれらは置いておいて、いつものように愛城華恋主軸で話をしようと思います!!!! 与太話だけど作者は本気で点と点を結んでいるからよろしくね!!!!!!!!

 

※青嵐舞台のネタバレがめちゃくちゃあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察 

 物語の目的

 まず今回の青嵐の舞台なのですが、私は話の軸をひとつ見定めています。それは

柳さくらという舞台少女の覚醒

 です。あらゆる要素がここに帰結するように集結していたと思う。

 もちろん柳小春たちがメインではあるのですが、なんというか、あくまで主人公は柳さくらであって、その『青嵐編』という見方も含んでそうなんですよね。青嵐スピンオフに、本編の重要人物が出張してきているようなイメージ。超電磁砲の妹編に出てくる上条当麻みたいな……

 とりあえず言及したいのは以下の2つ。

 

・やたらと強調される「愛城華恋との比較」

・『自分改革』

 

愛城華恋との比較

 ひとつ目の意味。

 柳さくら、再生産バンクこそなかったものの、口上が「星屑溢れる」から始まり、さらには何の因果も執着もないはずなのに「スタァライトしちゃいます」を引用してくるの、露骨に妙なんですよね。しかも今回の解説役にして最優秀助演女優な理想の先達である雪代晶(めちゃくちゃ説明してくれる)が、ダメ押しで「愛城華恋と同じ……!?」と言ってくれる念の押しよう。

 聖翔で主演を務めたからといって、そんなに対比する必要あるか? と疑問を抱いてしまう徹底ぶりです。明るく元気の点は似てるけど、それ以外の点は似てないのに。姉との比較を恐れたりとか、乱入前にキレなかったりとか。

 その一方、「場の悪い空気」を全部破壊してしまう力強さは愛城華恋と同じだと感じました。八雲先生に曰く「透明な力」だったり、嵐を起こす風のような物だったり。

 ある種の『主人公力』と言えるかもしれません。

 

 ちなみに私はこれをタロットの『』が持つ「突然の終わり・破壊・終焉」という暗示の、ポジティブな活用だと考えています。『約束タワーブリッジ』とかはその極値のひとつですよね。

 

 そしてその覚醒は八雲先生(それからおそらくキリン)が望んでいた結果であり、それはアラミス枠の不在からも明らかです。

 これらから、少なくとも青嵐3人の他に、柳さくらの件も計画の目標として期待されていたであろうことが分かります。

 

『自分改革』

 ふたつめの意味。

 それは「今後の物語で柳さくらが覚醒している必要があるのでは?」という点です。

 

 『自分改革』とは『BLUE ANTHEM』の歌詞にて登場し、おそらくは『アタシ再生産』と同じようなニュアンスであろう単語。青嵐の決意の表れ。

 この単語は同楽曲が流れた最終レヴュー『革命』でも背景に浮かび上がりました。フォントもデザインも『アタシ再生産』と同じ、あの字体だったと思います。おそらくこれが柳さくらのもたらした『風』によって起きた、革命なのでしょう。

 そして。これはライブパートで画面に現れたのですが。

 そちらでは『自分👑改革』と、中央に落下する王冠が描かれているのです。

 ——作品のロゴだし、当たり前では?

 そう考える人もいるかと思います。しかし、よく考えてみてください。王冠は別に『戯曲:スタァライト』のマークでもなければ、聖翔のロゴでもないのです。

 ただ、愛城華恋の『アタシ再生産』で落下する髪留めというだけで。

 青嵐はおろか柳さくらとすら、何の関係も見当たらない。

 これなら桜の花びらが落ちる方が自然なのではないでしょうか。

 

 これらから、私は『自分👑改革』は愛城華恋の固有特性である『アタシ👑再生産』と同種の能力であり、王冠👑とはそれを示すマークなのではないかと考えます。

 つまりは、柳さくらがそういった特異性を覚醒せるためのイベントが、青嵐編だったのではないかと思うのです。

 

 というのも。

 今回の八雲先生自身の回想にて、

・青嵐と戦って成長し(レヴューをした?)

・1年生でありながら

・3年生から『スタァライト』の主演を奪った聖翔の生徒

 という過去が飛び出しました。

 ……これって、柳さくらにも当てはまっていくのではないでしょうか。

 柳さくらは1年生。青嵐とのレヴューを経て成長した舞台少女。

 しかも主演を演じた愛城華恋と同質のキラめきを有している。

 青嵐舞台は交流プログラムが「先日の、」と言われることから4~5月のこと。

 であれば。

 この後に時系列がくるであろう「#3」や「劇場版」にて。未だに『スタァライト』以外には関心が薄い愛城華恋が、柳さくらに主演を奪われる日が来るのでは?

 

  以上が、私のなんとなく思った『柳さくら』についての私信です。

 本編、スタリラ、舞台、オリオン……かねてから徹底的に描かれてきた愛城華恋の未成熟な部分。または『悪癖』と呼ぶべき「『スタァライト』への執着」がどのように回収されるのか。乗り越えるのか。今からとても楽しみですね……。

 

 

…………、

 

 

 

 

本題という名の大真面目な幻覚

はじめに

 ここからはオマケという名の本題です。

 ※あらゆる前提に「ロゴにもなり愛城華恋のトレードマークにもなっている『落下する王冠』は、セフィロトの頂であり『塔』へと落ちる『神の力の王冠(ケテル)』である」という考察を置いています。

qed495.hatenablog.com

 タロットカードからセフィロトへ飛んで発見された「違和感の答え」となっているので、読んでいただければ幸いです。

 

 というわけで、私はこう思うのです。

 柳さくら、人造の愛城華恋なのでは?

 

 『自分改革』が『アタシ再生産』と対応していると思われる、といった話は咲にした通りです。

 では、その中心に据えていた『王冠』は?

 あれが『塔』を落ちてもたらされる福音(アタシ再生産)であるのなら。

 それを『スタァライト』という神話とは無関係に扱う柳さくらは、なんなのか……という疑問。

 だって彼女、王冠の髪留めなんてないし。

 ましてや『スタァライト』の『運命』も無関係ですからね。

 

 そして、それに対する私のl答えが、この『人造の』という修飾語です。

 

王冠

 私はあの王冠を『高次元からもたらされる神の力(ケテル)』としての記号だと考えています。その辺は上に挙げた記事内で言っているので詳細は省きますが、最もポピュラーなタロットカードの『塔』において描かれている王冠の記号です。

 愛城華恋はこれを『スタァライト』という出典・作者不明の神話を愛し、また愛されることでアクセスする器になっているのでしょう。運命のレヴューにて神楽ひかりも再生産しますが、それも愛城華恋の手を繋いだ結果でした。他の九九組についてもロロロでバンクのようなものが出ましたが、ノイズが混じるものでした。つまり、劇中で『アタシ再生産』を行うのは愛城華恋だけであり、これは実力云々などではない、特異な性質であろうと考えられます。

 少なくともあの『王』である雪代晶でさえ王冠をロゴにされないのですから、『王者を表す記号』ではないのは明らかでしょう。

 

 さてそうなるとおかしいのは『自分改革』、ならびに『柳さくら』です。

 まず第一に、『自分改革』はだれか一人の固有スキルではなく、青嵐の全員に効果が適用されています。柳さくらだけでなく、チーフ組を含めた4人が行えるスキルなのです。これは、『アタシ再生産』と大きく異なる点です。

 次に、あの4人は誰一人として『王冠』はおろかスタァライト』に縁深くないということです。柳さくらは『約束』なんてしていませんし、柳小春も「スタァライトを自分たちの演目にしたかった」と言っています。これは逆説的に「素晴らしい演目であれば、スタァライトでなくてもいい」という意味になるはず。それはそのまま『塔』に関与しないことを意味し、そこからもたらされる『王冠』を受け取るためのパスが存在しないはずなのです。

 

 しかし、『自分改革』はその状況下においても『王冠』を獲得し、さらにはそれを他人へと分配するという結果を引き起こして見せたのです。

 

 人造の奇跡と神代の破壊

 異常の事から、私は『自分改革』は人が作り再現した王冠、奇跡なのではないかと推測しました。

 まずあの世界においては、『スタァライト』という神秘が未なお絶大な力を持ち、理を歪め、少女たちを翻弄しています。劇場、そして物語という絶対的な神が存在するのです。

 そしてその神話の文脈上において特異性を発揮し、世界を破壊するチカラを持っているのが愛城華恋です。

 しかし、これは言うなれば「医療を行える神官」のようなもの。すべてスタァライト頼りの古い時代と言えます。

 それに対して柳さくらの『自分改革』とは、愛城華恋を模倣しその奇跡と同様の効果を、『塔』に頼らずに実行する行為です。これはまさしく「神頼みではない医療」のような、奇跡を再現することで神を否定する行い。時代の更新、革命なのではないでしょうか。

 神(スタァライト)の手を離れ、人類が独り立ちしていく進化の過程。そのために、愛城華恋という奇跡の代行者を否定する人造の奇跡を巻き起こす舞台少女。

 それこそが、柳さくらなのではないでしょうか?

 

最後に

  愛城華恋は今なお「スタァライトから卒業する」という未来について一切考えが及んでいないことが、たびたび示唆されています。劇場版の告知でもそう。

 とくにその目的であった神楽ひかりは既にスタァライトだけへの執着を捨て、もっと広い視野を獲得している(塔から降りている)というのに、愛城は未だにあの塔の中にいる……キービジュアルからもそういった現状であると推測できるでしょう。

 故に、今回の青嵐舞台の後にくるであろう#3、そして劇場版では、愛城華恋が『スタァライトという神話』と決別する物語となるのでは、と。

 私はそう思うのです。