ひな百合手記

関係性と悲鳴と考察

自分改革と王冠の話

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はじめに 

  青嵐新作舞台、みなさんはもうご覧になりましたか? 私は見ました。すごいよかったよね……掘り下げが唯一少なかった柳小春を軸に繰り広げられる青嵐の成長劇。八雲先生が『めちゃくちゃ良い先生』として暗躍してる場面(でも生徒の前では悪そうに見せる)、主任との過去。絶対王者としての格の高さを魅せた雪代晶。穏やかな島民だからこそもたらせる知見、そして、花柳香子信仰限界オタク集団の組長……

 でも今日はそれらは置いておいて、いつものように愛城華恋主軸で話をしようと思います!!!! 与太話だけど作者は本気で点と点を結んでいるからよろしくね!!!!!!!!

 

※青嵐舞台のネタバレがめちゃくちゃあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考察 

 物語の目的

 まず今回の青嵐の舞台なのですが、私は話の軸をひとつ見定めています。それは

柳さくらという舞台少女の覚醒

 です。あらゆる要素がここに帰結するように集結していたと思う。

 もちろん柳小春たちがメインではあるのですが、なんというか、あくまで主人公は柳さくらであって、その『青嵐編』という見方も含んでそうなんですよね。青嵐スピンオフに、本編の重要人物が出張してきているようなイメージ。超電磁砲の妹編に出てくる上条当麻みたいな……

 とりあえず言及したいのは以下の2つ。

 

・やたらと強調される「愛城華恋との比較」

・『自分改革』

 

愛城華恋との比較

 ひとつ目の意味。

 柳さくら、再生産バンクこそなかったものの、口上が「星屑溢れる」から始まり、さらには何の因果も執着もないはずなのに「スタァライトしちゃいます」を引用してくるの、露骨に妙なんですよね。しかも今回の解説役にして最優秀助演女優な理想の先達である雪代晶(めちゃくちゃ説明してくれる)が、ダメ押しで「愛城華恋と同じ……!?」と言ってくれる念の押しよう。

 聖翔で主演を務めたからといって、そんなに対比する必要あるか? と疑問を抱いてしまう徹底ぶりです。明るく元気の点は似てるけど、それ以外の点は似てないのに。姉との比較を恐れたりとか、乱入前にキレなかったりとか。

 その一方、「場の悪い空気」を全部破壊してしまう力強さは愛城華恋と同じだと感じました。八雲先生に曰く「透明な力」だったり、嵐を起こす風のような物だったり。

 ある種の『主人公力』と言えるかもしれません。

 

 ちなみに私はこれをタロットの『』が持つ「突然の終わり・破壊・終焉」という暗示の、ポジティブな活用だと考えています。『約束タワーブリッジ』とかはその極値のひとつですよね。

 

 そしてその覚醒は八雲先生(それからおそらくキリン)が望んでいた結果であり、それはアラミス枠の不在からも明らかです。

 これらから、少なくとも青嵐3人の他に、柳さくらの件も計画の目標として期待されていたであろうことが分かります。

 

『自分改革』

 ふたつめの意味。

 それは「今後の物語で柳さくらが覚醒している必要があるのでは?」という点です。

 

 『自分改革』とは『BLUE ANTHEM』の歌詞にて登場し、おそらくは『アタシ再生産』と同じようなニュアンスであろう単語。青嵐の決意の表れ。

 この単語は同楽曲が流れた最終レヴュー『革命』でも背景に浮かび上がりました。フォントもデザインも『アタシ再生産』と同じ、あの字体だったと思います。おそらくこれが柳さくらのもたらした『風』によって起きた、革命なのでしょう。

 そして。これはライブパートで画面に現れたのですが。

 そちらでは『自分👑改革』と、中央に落下する王冠が描かれているのです。

 ——作品のロゴだし、当たり前では?

 そう考える人もいるかと思います。しかし、よく考えてみてください。王冠は別に『戯曲:スタァライト』のマークでもなければ、聖翔のロゴでもないのです。

 ただ、愛城華恋の『アタシ再生産』で落下する髪留めというだけで。

 青嵐はおろか柳さくらとすら、何の関係も見当たらない。

 これなら桜の花びらが落ちる方が自然なのではないでしょうか。

 

 これらから、私は『自分👑改革』は愛城華恋の固有特性である『アタシ👑再生産』と同種の能力であり、王冠👑とはそれを示すマークなのではないかと考えます。

 つまりは、柳さくらがそういった特異性を覚醒せるためのイベントが、青嵐編だったのではないかと思うのです。

 

 というのも。

 今回の八雲先生自身の回想にて、

・青嵐と戦って成長し(レヴューをした?)

・1年生でありながら

・3年生から『スタァライト』の主演を奪った聖翔の生徒

 という過去が飛び出しました。

 ……これって、柳さくらにも当てはまっていくのではないでしょうか。

 柳さくらは1年生。青嵐とのレヴューを経て成長した舞台少女。

 しかも主演を演じた愛城華恋と同質のキラめきを有している。

 青嵐舞台は交流プログラムが「先日の、」と言われることから4~5月のこと。

 であれば。

 この後に時系列がくるであろう「#3」や「劇場版」にて。未だに『スタァライト』以外には関心が薄い愛城華恋が、柳さくらに主演を奪われる日が来るのでは?

 

  以上が、私のなんとなく思った『柳さくら』についての私信です。

 本編、スタリラ、舞台、オリオン……かねてから徹底的に描かれてきた愛城華恋の未成熟な部分。または『悪癖』と呼ぶべき「『スタァライト』への執着」がどのように回収されるのか。乗り越えるのか。今からとても楽しみですね……。

 

 

…………、

 

 

 

 

本題という名の大真面目な幻覚

はじめに

 ここからはオマケという名の本題です。

 ※あらゆる前提に「ロゴにもなり愛城華恋のトレードマークにもなっている『落下する王冠』は、セフィロトの頂であり『塔』へと落ちる『神の力の王冠(ケテル)』である」という考察を置いています。

qed495.hatenablog.com

 タロットカードからセフィロトへ飛んで発見された「違和感の答え」となっているので、読んでいただければ幸いです。

 

 というわけで、私はこう思うのです。

 柳さくら、人造の愛城華恋なのでは?

 

 『自分改革』が『アタシ再生産』と対応していると思われる、といった話は咲にした通りです。

 では、その中心に据えていた『王冠』は?

 あれが『塔』を落ちてもたらされる福音(アタシ再生産)であるのなら。

 それを『スタァライト』という神話とは無関係に扱う柳さくらは、なんなのか……という疑問。

 だって彼女、王冠の髪留めなんてないし。

 ましてや『スタァライト』の『運命』も無関係ですからね。

 

 そして、それに対する私のl答えが、この『人造の』という修飾語です。

 

王冠

 私はあの王冠を『高次元からもたらされる神の力(ケテル)』としての記号だと考えています。その辺は上に挙げた記事内で言っているので詳細は省きますが、最もポピュラーなタロットカードの『塔』において描かれている王冠の記号です。

 愛城華恋はこれを『スタァライト』という出典・作者不明の神話を愛し、また愛されることでアクセスする器になっているのでしょう。運命のレヴューにて神楽ひかりも再生産しますが、それも愛城華恋の手を繋いだ結果でした。他の九九組についてもロロロでバンクのようなものが出ましたが、ノイズが混じるものでした。つまり、劇中で『アタシ再生産』を行うのは愛城華恋だけであり、これは実力云々などではない、特異な性質であろうと考えられます。

 少なくともあの『王』である雪代晶でさえ王冠をロゴにされないのですから、『王者を表す記号』ではないのは明らかでしょう。

 

 さてそうなるとおかしいのは『自分改革』、ならびに『柳さくら』です。

 まず第一に、『自分改革』はだれか一人の固有スキルではなく、青嵐の全員に効果が適用されています。柳さくらだけでなく、チーフ組を含めた4人が行えるスキルなのです。これは、『アタシ再生産』と大きく異なる点です。

 次に、あの4人は誰一人として『王冠』はおろかスタァライト』に縁深くないということです。柳さくらは『約束』なんてしていませんし、柳小春も「スタァライトを自分たちの演目にしたかった」と言っています。これは逆説的に「素晴らしい演目であれば、スタァライトでなくてもいい」という意味になるはず。それはそのまま『塔』に関与しないことを意味し、そこからもたらされる『王冠』を受け取るためのパスが存在しないはずなのです。

 

 しかし、『自分改革』はその状況下においても『王冠』を獲得し、さらにはそれを他人へと分配するという結果を引き起こして見せたのです。

 

 人造の奇跡と神代の破壊

 異常の事から、私は『自分改革』は人が作り再現した王冠、奇跡なのではないかと推測しました。

 まずあの世界においては、『スタァライト』という神秘が未なお絶大な力を持ち、理を歪め、少女たちを翻弄しています。劇場、そして物語という絶対的な神が存在するのです。

 そしてその神話の文脈上において特異性を発揮し、世界を破壊するチカラを持っているのが愛城華恋です。

 しかし、これは言うなれば「医療を行える神官」のようなもの。すべてスタァライト頼りの古い時代と言えます。

 それに対して柳さくらの『自分改革』とは、愛城華恋を模倣しその奇跡と同様の効果を、『塔』に頼らずに実行する行為です。これはまさしく「神頼みではない医療」のような、奇跡を再現することで神を否定する行い。時代の更新、革命なのではないでしょうか。

 神(スタァライト)の手を離れ、人類が独り立ちしていく進化の過程。そのために、愛城華恋という奇跡の代行者を否定する人造の奇跡を巻き起こす舞台少女。

 それこそが、柳さくらなのではないでしょうか?

 

最後に

  愛城華恋は今なお「スタァライトから卒業する」という未来について一切考えが及んでいないことが、たびたび示唆されています。劇場版の告知でもそう。

 とくにその目的であった神楽ひかりは既にスタァライトだけへの執着を捨て、もっと広い視野を獲得している(塔から降りている)というのに、愛城は未だにあの塔の中にいる……キービジュアルからもそういった現状であると推測できるでしょう。

 故に、今回の青嵐舞台の後にくるであろう#3、そして劇場版では、愛城華恋が『スタァライトという神話』と決別する物語となるのでは、と。

 私はそう思うのです。

 

まちカドまぞく5巻を早く読んで土くれに戻ったオタク

皆さん、『まちカドまぞく』を覚えていますか?  そう、去年の夏頃にアニメが放映され流行ったアニメです。公式に存在しないセリフ「シャミ子が悪いんだよ」がネット流行語か何かで表彰されましたね。あれです。

 

まちカドまぞく 第1話 「優子の目覚め!! 家庭の事情で今日から魔族」 アニメ/動画 - ニコニコ動画

 

さて今回は、アニメ放映分の後にあたる3~5巻を読んだオタクの遺す手記です。

というか、5巻のラストワンシーンの話だけです。考察とかでもないです。

 

 

以下ネタバレ

(5巻まで読んでない人は戻って)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まちカドまぞく、これ『伏線の張り方や回収に無駄がなくて面白い、しかも百合を見出せる超すごい作品』じゃなくて

 

『完全無欠なビアン文脈を含む百合を持ちながら、それをサブウェポンとして扱えるレベルに構成が面白い化け物級の作品』

 

なんですね??? 5巻ラストでそれが確定したの熱すぎるでしょ……しかしそれもやはり物語のテーマがわりとシリアス(でもノリはまちカでもがあってこその運用。まぞく真の力はアニメだけでは全然出力されていなかったと今になって理解しました。不意打ちな百合による死をもって。

 

これは完全に私の油断なのですが「言うて日常系百合見出し作品って、『絶対両思いでしょ……』とオタクが勝手に興奮するレベルに留まるよね」と捉えていて、そうだと思ってたのですよね、まぞくも。

でも3巻辺りからちょっと「おやさすがにこの反応は幻覚ではないのでは……???」と思い始めてからの5巻、5巻………………………

5巻、ほんとになに???

 

千代田桃「仮にシャミ子がそんな力を使わなくても、いずれ私は絶対にシャミ子のことを好きになってた!」「がんばりやだし、見てて面白いし……かわいいし」

 

???????????????????????????????????????

 

いやアニメ後に流行ってた時に5巻で「シャミ子、今日のご飯なに?」とすごい笑顔で発言する千代田桃がいるのは聞いていたんですよ。それで「絶対シャミ子のこと好きになってるじゃん〜〜、あははっ」とかニコニコしてたんですよ。

 

笑い事じゃないが!?
告白!!!!告白してるんだよ!!?!???

公式で!!!!!!!!

 

は〜〜〜〜〜〜、いやマジでなに、千代田桃、は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…????????

 

そもそも『闇の一族』としてのシャミ子とシャミ先の力が『刷り込み・洗脳』であることは前から提示されていたのだから、よくよく考えたらここで『桃→シャミ子への好意』がカウンターとして炸裂するのは予測できたはずなんですよね。恋愛は刷り込みや洗脳と分類できるので。

いやでも、それにしたって、あんな堂々と告白できると思わないでしょ……ああでも千代田桃は効率主義かつ脳筋だから、むしろあそこでどストレートな文言ぶちかましてきてもおかしくはないのか。は〜〜〜、まちカドまぞく構成、IQが高い。資源回収率100%のスーパーリサイクルシティですわよ。RTAみもある。

 

本来はリコさんの『お利口さん』と『利己的』にかかってたであろう名前とかにびっくりしていたのだけど、全部吹っ飛ばされたよね……まちカドまぞく、なんてすごい漫画なんだ……

今度アニメのCDも買う…………

 

追記

もうこのままだと、千代田桃が『眷属(仮)』とされるのも最終巻で同棲か結婚かかが始まって籍入れて「これで桃も私の眷属ですね」みたいなやり取りする伏線に思えてきたし、もしくは街のボスとして相応しくなり喜ぶシャミ子に「シャミ子の眷属は私だけでしょ」と小声で1回だけしか言わない“デレ”を見せる千代田桃とかな気もしてきた。怖い。

愛城華恋が『王冠』である意味について

 

 スタァライトの主幹を担う愛城華恋と神楽ひかり。その象徴にはそれぞれ『王冠』と『光(煌めき)』と呼ぶべきであろう髪留めが存在します。2人の『運命』の象徴、約束を証明し続ける物。これはキャラクターの記号化としても必要不可欠なアイテムであることは、皆さんもご存じでしょう。

 でもこれって、何だかおかしな点がありませんか?

  まず神楽ひかりの髪留めが『』であることは当然です。だって名前が『ひかり』でそのままなので、幼い日の愛城もきっと名前から選んだのだろうな〜と予想できます。メタ的に言ってもキャラクターの記号として使用されるシンボルですし、それくらいシンプルな理由の方がいいでしょう……では、愛城はどうでしょうか?

 

 アニメ全12話に舞台2作品、さらにスタリラを合わせても愛城華恋と王冠を結びつける情報はパッと見存在しません。むしろ名前から取るなら『ハート』『』『』などの方が適切に思えます。あれだけ強烈な一文字、愛と恋で挟んだあの名前。ますます『王冠』である必要性が感じられなくなります。ついでに言えばフローラの髪留めも『』です。

 では愛城華恋が『王冠』であることは脚本の空白、つまりは特に意味を持たない概念なのでしょうか。

 いいえ、そうも思えません。スタァライトは暗喩や比喩のカラクリ箱のような作品です。神楽ひかりには意味が掛かっていたのですから、こちらも意味があると見て良いはずでしょう。 

 今回のブログはその『愛城華恋が王冠である理由』についてです。

 

 なおここで語ることは筆者の経験や趣味に基づいた解釈であり、公式にそうなのかを保証するものではありません。ですが、たとえ回収されなくとも「こういう紐付けができるから私はこれで妄想するからな」という狂人の決意表明ではあります。ほら一緒にキメましょう、幻覚を……だって幻覚を見るの、楽しいので……ほら……………

 というわけで早速トリップしていきましょう。

 

 

スタァライトとタロット》

※この章は前置きなので、既にこの仮説をご存知の方は読み飛ばしてください。

 

 

 

  さて、皆さんご存じの通り戯曲:スタァライトという概念はが舞台であり、それをメインテーマにした少女☆歌劇レヴュースタァライトという物語もまた、塔によって始まり塔に帰結した物語です。物語を貫く柱と言ってもよいでしょう。

 そこで、ヒントが見つからない愛城華恋と『王冠』を繋ぐ中継地点としてを、とりわけ『星罪の塔』と関連が深いと考えられるタロットを経由するとします。

 というわけでまずは『塔』のカード説明(諸解釈あり)がこちら。

 

『塔』

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 タロットカードの『塔』というカードは78枚で1デッキとなるタロットの中でも軸となる22枚の大アルカナ(残りは小アルカナと呼びトランプに酷似)と呼ばれるカードで、その16番目のカードです。

 描かれた図面は雷、すなわち神の力が塔を破壊する場面で、『バベルの塔』がモチーフであると言われることが多いです。その悲劇的な意味からタロットカードの中でも珍しい正位置も逆位置も等しくネガティブになりやすく、かつ強力なカードとして扱う存在でもあります。

正位置の意味

破壊、破滅、突然の崩壊、災害、悲劇、戦意喪失

逆位置の意味

不安定、緊張状態、崩壊寸前、いつか来る終わり

  このように塔とは神話としても創作の題材としても有名なバベルの塔である、という解釈がタロットにおいては基本とされることが多くあります。そしてこれは「人が神に近づくために手を伸ばした罪とその罰」であり、まさしく戯曲:スタァライトのモチーフにピッタリであると言えるでしょう。

 

 しかし同時に、その圧倒的な破壊力を逆手に取ってどんな悪い状況も破壊してリセットする(再スタートさせる)という解釈もされるのがこのカードの面白いところでもあります。そう、つまりは愛城華恋のアタシ再生産』の象徴でもあるのです。

  この他にも大場ななと『悪魔』舞台少女と『星』、さらには神楽ひかりとキリストや賽の河原などの関連が論じられますが、王冠にはあまり関与しないので今回は省略します。

 

 

 

スタァライトと王冠について》

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 さて、以上のようにタロットカードスタァライトとの関わりが深いです。そして実はその歴史において、タロットとはカバラ(数秘術)の根幹——セフィロトに対応していると考える説が存在しています。

セフィロト

10個のセフィラのこと。またはセフィロトの樹(生命の樹)のこと。セフィロトは、この世のありとあらゆる存在・森羅万象をあらわし、この10個のセフィラで分類されぬものは無いといわれている。(コトバンクより引用)

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セフィロトを構成する各セフィラと配置、その名称をまとめた図(Wikipediaより引用)。頂点のケテルから出発しマルクトをゴールとして表されている。

 これがセフィロトです。簡単に説明すると、頂点にあるケテル(神の力)が各セフィラを順番に通り濾過され、最後には人間の領域であるマルクトへとその力が流れていくことを表しています。そしてセフィラ同士を結ぶラインが、タロットと対応していると唱えられた箇所で、一本につき一枚の大アルカナが割り当てられました。

 Fateでアヴィケブロン先生が求めたゴーレム・ケテルマルクトもこれで、意味合いとしてはA to Zで『全』を表すような感覚かと思います。セフィロトという単語自体は様々なコンテンツに出てきますが、ユグドラシルなどの関連にもえるような巨木のイメージなんですよね、実は。まあ北欧のあちらほど「木です!!!!!!」とアピールするよりわけでなくもっと概念的な樹形図的な意味合いではありますが……。

 

 閑話休題

 

 さてこのセフィロトで最も注目していただきたいのは頂点のセフィラ。つまりは降りてくる神の力(ケテル)とは王冠であることです。

 思い出してみてください、愛城華恋の王冠が登場するシーンを。

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 落下し、少女に絶大な力を与える燃料となる王冠。

 まさしく『アタシ再生産』の象徴です。

 本来、王冠というシンボルが落下して溶鉱炉にポチャン……という状況は、縁起がいいとは言えません。なにせ正直に受け取れば、これは王権が失墜するような図でしかなく、それこそまさしく『塔』のネガティブな破滅です。

 しかし、これが『神の力(ケテル)』のシンボルであるならば話は別です。なぜならセフィロトにおける神の力は、落下してくるものだからです。

 王冠は落下してこなくてはいけません。

 そうでないと、天上の星のままだから。

 王冠は燃料でなくてはいけません。

 マルクトに流れ込むケテルは、移動の間に変質し、人間になんとか扱えるようになったものなのです。

 古来より、神の力とは人の手に余る存在であり、直接扱うことはできないとされてきました。その代表例がです。神が雷を落とし、その副産物として豊穣や火を人は賜る。そういった考えが各地の神話にあるのは確かでしょう。

 そしてその雷が、タロットの中でも特に『塔』をセフィロトと結びつけます。

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明るい色彩が特徴とされ、最初に庶民に定着し占いブームを起こしたというマルセイユ版タロットカードの『塔』。一説には、タロットは初めは貴族の間で行う『絵画の解釈をするゲーム』であったされる。

 最初に挙げたウェイト版『塔』に比べると、ずいぶん明るい印象を持つと思います。このイラストは『バベル(神の家)』というカード。塔に落ちる雷を、神罰でなく神の恵みとして——つまりは塔を神の力が下りてくる場所として解釈しています

info.il-lume.tokyo

 引用したサイトにもあるように、マルセイユにおいてはなんだか不思議なワサワサが太陽から塔へと降りてきていて、同時に巨大な王冠が塔先端へ被さってきています。この王冠こそが神の力であると考えられるのではないでしょうか?

 また同時に、『神の家』とは「神の力が降り注いだことにより、この塔そのものが高次元の存在になっている」という解釈も存在しており、塔が『神の力を伝える橋』とも解釈されることがあるのです。そう『橋』、つまりはブリッジです。

 

 愛城華恋が大事を成す前にその力の燃料となり、また、敗北したときでさえも遥か塔の上方から落下し、すべてをひっくり返す『塔』を打ち建てたあの王冠。ではその王冠は、どういった経緯で彼女の手に渡ったのだったか。それはあの東京タワーにおいて神楽ひかり——「神をその身におろす場所や巫女」という意味の『神楽』を戴く少女にもたらされた物。そう、の中でによって渡された王冠なのです。

 そしてだからこそ愛城華恋は、周囲へとディスコミュニケーションにも似た不和(バベルの塔)を呼び、しかしそれを結果的にはプラスへと導き、同時に『塔(約束タワー)』を自由に、それを『橋』にすら転用できるのではないでしょうか。

 

 まさしくセフィロトの物語を駆け上がる少女。

 故に公式は『王冠』を愛城華恋のシンボルとした。そう私は解釈しています。

 

 なぜ『セフィロトの物語』だと断言できるのか? ……だってカバラ(数秘術)はアヴィケブロン先生のようなゴーレム魔術としても有名で、スタァライトにはそれに類するような正体不明のヒトガタが、存在するのですから。

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……というか、もう他に愛城華恋が『王冠』でる理由が本当に思いつかないので他の候補あったらコメント等で教えてほしいです。最初に書いた通り「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」はまず有り得ないので。ブログにしてくれてもいいよ! この記事も引用してくれて構わないので、お願いします……

 

 

 

 

おまけ

 このようにセフィロトにおけるケテルへと至っている愛城華恋。

 しかし『スタァライト』における女神はどれも性質が反転——つまりは負の側面を体現していました。ではそれは、セフィロトという塔のような樹木を登るフローラには、絶対に適用されないのでしょうか? ……いいえ、そんなことはないはずです。

 なぜならセフィロトには対となる悪魔と不均衡の世界——クリフォトが存在するのですから。

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 それはセフィロトとは真逆の人に身近な表層、キムラヌートというから堕ちゆく樹木の道。

 また、近年のFGOなどにおいては人類を愛した結果人類を滅ぼす獣に対応する、人の持つ愛とエゴの負の側面。人類悪のベースです。

 から始まりに終わる名を持ち、誰より危険な激昂(エゴ)を持つ少女にとってこれほどカバラが似合うのは、偶然でしょうか?

 私にはどちらとも断言できません。

 ただ、私は『#1激昂』の愛城華恋が、『逆境のオリオン』の愛城華恋が、そして「ノンノンだよ」という否定の口癖が孕む危うさを。見ないフリをしてはいけないと……覚悟した方が良いのかもしれません。

 

 

参考資料

タロットの歴史―西洋文化史から図像を読み解く

タロットの歴史―西洋文化史から図像を読み解く

 

 



 

大場ななの「傲慢」についての話~イベスト四話~

 はじめに。

 これは愛城星見大場関係性に焼かれる狂人が叫び悶える様を見守る檻です。じゅんななな&じゅんかれの狭間ですり潰された残骸を見たくない人は読まない方がいいと思います。SAN値が減るので。

 

 どうも、かねてから待ちわびていた星見大場関係性における「溝」がついに公式から、しかも樋口さん脚本で静脈注射されてショック死した人です。成仏できないので迷い出ました。まあでも、あなたもどうせ同じように死ぬから仲間です。早くこっちに来ましょうね。

 というわけで久しぶりの更新です。お題は『シンクロガールズ』の四話更新についてだから、まだ読んでない人は早く読もう!!!!!!!!!!ガチャが渋くてもスタリラのイベントは高品質だから!!!!花嫁双葉か太陽大場編成してオート放置でイベントステージは全部終わるから!!!!頼む!!!!!

 

 

閑話休題

 

 

 ついにやってきた「星見純那のためにと『侮辱だ』と言われるような気の使い方をして拒絶される大場なな」という構図。はい、これなんですよね言いたいことは。全部これに尽きる。四話の内容も、星見大場の関係性に未だ根深く残る断絶も、大場ななという人間の悪癖も、そしてだからこそ発生する愛城星見関係性のキラめきも、全部これ。はーーー、公式でこれやったし私もうなんも言わなくていいですか? だめ? じゃあ詳細話していきます。おつきあいください。

 まず大場ななってめちゃくちゃに強いということは、みなさんご存知ですよね。レヴューを何度も制覇し、天堂真矢すらあっさりと下すほどの実力、才能……それらを持っているから、「私がみんなを守ってあげるの」とあの再演を繰り返した。けれどそれって、見方を変えれば「みんなは私より弱いから、私が守って”あげる”ね」という傲慢さの表出でもあるんですよね。寄り添うのではなく支配する、子どもが玩具を大事にするかのような愛し方。まあ何十年分も赤ちゃんだったから仕方ないのだけど……とにかく、まだ愛し方が自己中心的な子どものまま止まっている。一人で何でもできてしまうからこその、強者の驕り。神楽ひかりとのレヴューにおける舐めプは有名ですね。

 

 

 

 

 

 

 このツイートでも話したように、星見純那はルームメイトのことを『理解者』だとは思えていなかったと思われます。なぜなら大場ななは「強者」だから。愛する両親と決別し、「届かないかもしれない」と思ってしまう自分とは違う人だから。在りし日の星見にとっては同じ目線には立てない高みの存在だったから。

 星見は大場を理解できるけれど、大場は星見を理解できない。少なくとも、今はまだ。

 

 そして、その歪みがついに爆発したのが今回の騒動なんです。

 

 

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 まず明言しておきたいのが、「星見のために脚本を調整すること」は何も悪い事ではありません。むしろ、そういった目線を持って提案できるのは裏方としての素質をもつ大場ななの強みに他ならない。できなければ代役をたてる……それは辛いけれど仕方がない事で、きっといざという時は星見も同じ決断をするでしょう。

 しかし、大場は星見本人ではなく、座長の露崎に先に話し、秘密裏に行おうとした。それこそが、星見の言う『侮辱』だった。なぜならそれは「スタァにはなれないから、やめておきなさい」という旨の忠告をしたであろう両親と同じ、『勝手に自分の限界を決める』という行いに他ならないから。『理解者でない人』であることの証左にほかならないから。そして、それを大切な友人であるはずの大場に言われたから。

 だからこそ星見は『侮辱』だと激昂したし、「余計なこと」と糾弾した。

 

 ……これは推測だけれど、星見本人に「このままじゃ間に合わないかもしれない。調整や代役をたてるなら今しかない。そのうえで、座長に相談するか続けるか。どうする?」と確認するのならば、きっと何も問題は起こらなかったのだろうね。結果としては変わらないけれど、星見の「意志」を尊重して決定権を委ねているから。信用の表れにもなるだろうし。けど、大場にはそれがまだできない。あの初雪の日のように勝手に諦めて、一人で背負い込んでしまう……

 未だ手の繋がれ方しか知らない大場が、成長することはできるのか。

 すべては明日の更新で明らかになる……なる、はず……なんとなく「一段踏み出せた」で留まる気もするけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

余談

 

 星見の『理解者』としての適合率が現時点でもっとも高いのは誰? それは、星見の無謀な挑戦を肯定し、「それでも私は諦めない」と足掻き続けられて、けれど明らかに秀でた素質を持っていない舞台少女でなければいけない。それにピッタリな人なんて九九組には……

 ……愛城華恋じゃん。

 

 そう、星見の背を押してきた実績があるのは愛城華恋という舞台少女であるという事実。そしてそれを大場ななは内心ではっきりわかっているであろうという描写。それはオペラ座の時に初めて明示されて、私たちにじゅんかれという可能性の炎を再点火しました。そして今回の件。うまく解決したとしても、大場はおそらく「私では純那ちゃんの助けにはなれない」「本当にふさわしいのは、華恋ちゃんなんだ」という諦めのような感情がいっそう強くさせるのがほぼ確定しています。あの時、ラウルにクリスティーナのことを晴れやかな顔で任せるファントムの結末こそ、ハッピーエンドであると信じたように…………これ以上オタクを細切れにしないで?????????

 余談の余談であうがこれはまた別記事に書きますが、「星見を二話で救った愛城、愛情に救われた星見になって初めて救えた大場という少女」という関係性をあなたはどう思いますか? 私はもうずっと関係性の炎に包まれ、「エピローグは仮面のむこうに」に煽られ心を焼かれています。星見が何に何が必要なのか大場だけが知っている、な話なので。……もしかして私は星見純那なのでは? でも同じ犠牲者にも増えてほしいので、あなたも巨大感情に引き裂かれてほしい。だって、楽しいので………………

 

 

真矢クロの煌めき、運命の舞台の眩しさ

 皆さん、ごきげんよう。今日も百合に、感情に、関係性に真剣ですか? 私は今日も真剣で、ちょっとばかし自信が付いてきたところでした。

「私ならば、いつかあの輝きに手が届くかもしれない!」

「そしていつかは——」

 そう、勘違いしてしまうくらいに。

 

 レヴュースタァライト第11話。

 その、感想。

 この記事は、私がいかに浅ましく、愚かで、傲慢だったか……それを痛感させられた話。

 『誇り』と『驕り』を少しばかり履き違えていたと、思い知らされた話です。

 

 

 

 

 

 まずはこちらをご覧下さい。

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 これは、視聴前に「こうだったら良いよね〜、これ、なんのプロポーズだよ」とか半笑いで言った、いわゆる推測です。まさか、これが来るなんて思ってない、来ればいいなぁ、なんて…そんな考え。

 しかし「その通りですが、私の方がもう少し……強い」とばかりに呆気なく、先を行かれたのだ。

 

『運命のレヴュー』

 2人1組で行う、変則の、レヴュー・デュエット。

 予想通りの、「Star Divain」のアレンジ。

 そこで繰り広げられたかれひか、真矢クロのレヴューは、ぶつかり合いは、その煌めきは、大きすぎる感情は、私の目を焼いた。


 天堂真矢が西條クロディーヌを意識していて。そして、誰よりも何よりもお互いの呼吸を、思考を、心を理解していたのはこの人だったというこの関係性! 

「この人となら、より高く、羽ばたける!」

 それを、他ならぬ真矢クロが魅せ、歓喜している状況!

 そして——それでもなお届かなかった真矢クロの行動。
 「私は負けてない!」と天堂真矢に噛み付いていた西條クロディーヌが敗北したあと、
「天堂真矢は、真矢は……負けてない……っ!」
「負けたのは私、私の方………!!」
と自らボタンを引きちぎり初めて涙を見せるその感情の爆発。

 それは降りるはず舞台幕すら邪魔したのか、自らと天堂真矢にスポットライトを当てさせるほどの感情。

 己を弱いと、敗者に位置づけてまでも守りたがったその誇り。その叫び。
 それが表れた「“私の”真矢」と呼ぶことの、大きさ。

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 そして、それに、フランス語で天堂真矢が応えるのだ。
 「私は負けていません」と。
 たとえ屁理屈、無理のある言葉でも、それでも天堂真矢は西條クロディーヌの前では「負けていない」と言ってのけるのだと。
「“私の”クロディーヌ」
 ——己の半身を預けるに値する存在だと。そう言ってのけたのだ。

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 ………
 私は元々、『これ』をプロポーズと想定していた。私は『これ』こそが二次創作で追いかけるべき『先』なのだと思っていた。


 けれど、違った。
 レヴュースタァライトという作品は、そんな予想も当然のように魅せ、当然のように凌駕していったのだから。

 

 私は今まで見て、聞いて、感じた関係性を元に、今後繰り広げるられるであろう展開を予想するなどという、平凡でも特技と言えるような、そんなことを磨いてきた。そして、その精度が上がっていくことに密かに喜びすら覚えていた。

 

「ああ、私も着実に『百合』を、『関係性』を、理解しつつあるのだ」と。


 ところが実際はどうだ? あらゆる展開は予想していたルート、その理想通り。「うん、やっぱりそう来るよね!」とワクワクしていた。

 ……なのに。なのになのになのに。

 私の想像力の手が掴んでいたのは——掴んでいると、思い込んでいたのは。水面に映る虚像でしかなかった。

 するり、と。あまりにも簡単に、しかし当然のように、この手をすり抜けた!

 

 大筋でいえば「予想通り」だったはず。落ち着いて眺めることが出来たはず。
 しかし、そこに秘められていた感情は、関係性は、キラめきは、この物語を形作る、あらゆる、何もかもが。
 あまりに、素晴らしくて。
 目を離せなくて。
 瞬きの間すら惜しいと、そう思わされて。
 ああ、『関係性を理解しつつある』なんて。なんて、浅はかで、傲慢な、驕りだったのだろうと。そう、心の底から思わされた。

 

 3話で天堂真矢が愛城華恋に知らしめた『同じステージにすら立っていない』というあの感情。
 大場ななが繰り返す再演の度に苦しんだ『眩しい』『届かない』というあの感情。

 

 奇しくも、それと似たような——けれどきっと、これもまた決して比べられない程度の小ささの——感情を、敗北感を、味わされたのだ。

 

 予想が外れたのではなく、すべて当たっているはずなのに「足りない」。真正面から受け止められ、そのうえでねじ伏せられたかのような、圧倒的な煌めき。真の意味で予測ができない運命のレヴュー。

 その煌めきに目を焼かれ、虚飾の塔から落ちたのだ。私は。

 

 ああ、まとめれば簡単なことだ。

「私は負けた」

 それだけの、つまらない話。

 

 

 以上が、今回の……10話において、私が書き残さなければいけないこと。

 読んでくださってる方がいたら、怪訝な顔をさせてしまったかも。その点は、素直に謝罪しなければいけないでしょうね。

 申し訳ない。

 真矢クロについての言及が少ないのは勘弁してほしい。なにせ、彼女たちはあの舞台で『すべて』を魅せた。だから、今更私に語れることは少なかったのだ。

 これは私の備忘録。

 ひな百合の日記。

 根本的には「私のため」である文章であることだけは、ご理解いただきたい。

 

 

 

 ——けれど、敗北した私にもまだ手を伸ばすことを許されるのならば、ひとつだけ。

 おそらくは予測材利が欠けているであろうこと。見せられても理解出来なかったこと。

 神楽ひかり——なぜ彼女が「華恋の煌めきは奪えない」と言いながらも突き落としたのか。

 なぜ「私を、私たちにしてくれて」と言い表したのか。

 副題の「されど舞台は続く The show must go on」は、悲劇のレヴューだけを意味するのか。

 

 

 来週までの一週間。精一杯、考え続けてみようと思う。

 

星見純那、赦しをありがとうという気持ち

レヴュースタァライト第9話

「星祭りの夜に」

 

 皆さん、もう9話は見ましたか? 私は見ました。まだの人はもうすぐ公式動画であがるはずなので、『見る前の解釈』などを今のうちに箇条書きでも用意することをお勧めします。

 

 これは、かねてからTwitterで叫んでいた解釈と一致……いえ、それ以上の『赦し』をもたらした舞台少女、星見純那へのどうしようもない感謝。そのための、短い文章です。

 当然、ネタバレがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゅんなななは『赦し』のカプである、あってほしいとは常々祈り続けてきましたが、まさかここまでの純度でくるなんて………

 

 着々と準備が進む、次のスタァライト。再演であって、大場ななの『再演』ではない、新しい舞台。

 変わっていき、先へ先へと進んでいく仲間たち。それは、『再演』の終わりの兆しでもある。

 倉庫教室、第99回目の星翔祭で使用された『星摘みの塔』を眺める大場なな。その場所で、ついに大場ななが星見純那に、でも、星見純那だけにすべてを暴露した。それは再演の決壊を前にした自暴自棄のようなものであって、直後に逃げ出すように立ち去るものだったとしても。星見純那だけが、真実を、知らされた。
 ——もしかしたら、「純那ちゃんなら、分かってくれるよね?」という願いも込められてたのかもしれない。それで答えも聞かずに出たのか。

 でも、だからこそ。既に彼女は壊れかけだったから。

 だから——愛城華恋の役割、「絆のレヴュー」はあんなにもあっけない。

 トドメを、大場ななの『再演』による保護より強い絆である『運命』をもって、大場ななに引導を渡すのが、愛城華恋の最大だから。大場ななが隠してきた「スタァライトなんて、あんな悲劇なんて大嫌い」という本音を引き出し、「みんなを守る」という建前じみた願いも取り払い、「みんなでずっとこの再演を演じてなきゃ——ダメ!」というワガママも、「華恋ちゃん」という涙声の嘆願すら押しのけ、次に進むという意志を、愛城華恋は示した。


 『再演』はあっけなく、潰えた。

 

 レヴューが終わった後。大場ななはあの中庭でひとり座っていた。もしかしたら、『再演』をはっきりと拒絶されたことで、寮に——みんなの輪の中に帰ることが出来なかったのかもしれない。
 けれど、それを星見純那は見つけてくれた。「ひとりぼっちの子を見つけてくれる」と大場なながかつて信じた、星見純那が。大場ななの『再演』の象徴、第1回目のスタァライトの脚本を持って。

 

「ずっと私たちのこと、見ててくれたのね」「何度も、ずっとひとりで」
 そう言って、その願いを尊重してくれた。

 

 偉人の言葉、かつて星見純那も励まされたのであろう言葉たち。そして——


「人には運命の星がある。綺羅星、明け星、流れ星。己の星は見えずとも、見上げる私は今日限り。

99期生、星見純那。

掴んでみせます、自分星!」


 ——そして、星見純那自身が掴んだ信条。そのすべてを尽くして、寄り添おうとしてくれた。

 

 だから大場ななも、ようやく素直になれたのだろう。「欲張りだったのかな、私」——それは奇しくも、2話で愛城華恋に敗れた星見純那の零した「考えすぎなのかな、私」と似た言葉。同じ座り方で。

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 「みんなを守る」「ずっと一緒にいずっとという願いの底の底、それでも消えなかった『もっと楽しく、もっと仲良くなれるように』という情熱。今回の『異常な再演』の方が、より煌めいている事実。それによって今までの『再演』を否定されているかのような恐怖。それらを吐き出して、「間違えてたのかな」と。

 

「なあんだ、あなたもちゃんと舞台少女なんじゃない」「もっといいものに、いい再演に」
「あっ…」
 けれどその願いを、星見純那は認めてくれた。

 

「舞台も、舞台少女も変わっていくもの」
 これから、いくらでも変われると、やり直せると言ってくれた。

 

「舞台少女なら——大丈夫」
「だから一緒に創ろう、なな。私たちで、次のスタァライトを」
 大場ななを——自身の努力を、未来を空転させ続けていた少女を赦し、受け入を、一緒に進んでいこうと。抱きしめてくれた。

 

 そうやって赦されて、抱きしめられて。ようやく大場ななは涙を流すことができた。

 『みんなの大場なな』として気を配り、輪の中に入れてもらえるように、無茶をし続けた少女が。「怖がりで、泣き虫」な。「子どもみたい」な、ありのままの姿を、感情を——「ごめんね」を。ようやく。

 

 星見純那は大場ななの過去を、『再演』を、その幼稚な、でも純粋すぎた願いを、決して否定しないでくれた。
 失敗してしまうこともある。泣いてしまうこともある。けれど、それを糧にすることこそが自分たち『舞台少女』だと。その心得なのだと。だから全部、次の舞台へ持っていこうと、言ってくれた。

 ああきっと。これこそが。大場ななに本当に必要な星だった。

 『再演』なんていう無茶ではなく。未来に向けて進む、その勇気。言葉として背を押してもらうこと。受け入れてもらうこと。それこそが。


 ありがとうレヴュースタァライト第9話。

 ありがとう、星見純那。ひとりの少女を救ったあなたは、大場ななを導いてくれたその煌めきは。疑いようもない、確かに輝く、ひとつの『星』だ。

 

 

スタァライトというキラめき

 みなさんごきげんよう。もうスタァライトされましたか? 私はされました。

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト

 

 舞台少女たちがトップスタァを目指して歌って、踊って、奪い合う——激しく燃えるキラめきの舞台、レヴュー。大切な日常とそんな非日常が交錯するアニメ、それが『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』ですね。

 今期のアニメも数あれど、物語に浮かされる私が最も好きなアニメは、これで決まりました。超絶巨大質量感情のぶつかり合い、ばんざい。

少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第一話「舞台少女」 - YouTube

 

 このアニメはブシロードの舞台一体型コンテンツとして少し前から始動していたようで、すでに声優による舞台公演が行われていて。そのBDとコミカライズ、楽曲も出ていました。そしてアニメの楽曲発売も素早く、6話までの挿入歌はすでに発売しています。嬉しい。みんなも聴こう、そして観よう。

 

 はやく巨大感情に触れてスタァライトされてほしいです。

 そして、神楽ひかりと露崎まひるが互いに矢印を向けてしまったと仮定した時の感情のぐちゃぐちゃ加減を想像してみてほしいし、まひかりの沼に沈んでほしい。